ニーオとAVAの歴史

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こんにちは!ニーオです

今日は自分のAVAのプレイ状況を話していこうと思っています。

AVAことAlliance of Valiant Armsを始めたのは2009年の2月くらいだったかと思います。

テレビがなかったのでゲームをやるにはPCゲームをするしかない・・・

そんな考えで色々ゲームを漁っていた時期にAVAを見つけました。

(ほかにはGUNZというTPSゲームもやってましたが初心者狩りが横行し廃れていった時期)

最初は惰性でゲームをしてましたが、いろいろ教わりながら成長をしてこれたと思います。

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ゲーム開始から初クラン入団まで

やっぱり男児なるもの狙撃には憧れる訳で・・・

ゲーム開始直後からSRをずっとやり続けてましたが、SRを勉強することもなく

教わる人もいなく、ただただ芋スナ状態でプレイ。

味方から目の前にスモークを焚かれた事数え切れず・・・

それでもスモークを焚かれる意味を理解しないで芋芋したゲームをしてました。

※味方SRの前にスモークを焚く=邪魔・動けなど

そんなことをしてたので上達するわけもなく、ただただゲームをし続ける日々でした。

初クラン入団と教育

野良でずっとやってましたが、部屋で一緒にやってた人が

たまたまクランに誘ってきたことをきっかけに初クラン入団。

クランマスターはアバカンでヘッショをパシパシと抜いていくイケメンARでした。

誰かとコミュニケーションをとりながらやるゲームに感動を覚え、モチベUP!

ですが、ほどなくして空気感が合わず脱退・・・

クラン募集部屋などに入り浸り点々をしてました。

そして運命のクランと出会うことにっ

クラン名は伏せますが、当時のゴールド・プラチナ帯で5人抜きを決めていくような

SRのクラマス率いる総勢8人のクランに入団。

1から基礎を教えてもらう。

  • PCスペックの重要性
  • 先見え後見え
  • 音の聞き方
  • 布陣の定石
  • レッドゾーン・グリーンゾーン
  • SRの役割
  • 残り時間の考え方

などなど

一人では考えてなかったこと色々教わってゲームに戦略性というものを感じたひと時

ここでやっとスピーカーからヘッドセットに変え、

サウンドブラスターを入れ、ゲームBGMを切り、ゲーム内報告と強ポジなどを

駆使しながらプレイするようになりました

クラン休止とガチクラン入団

色々教えてくれたクランでしたが、クラメンのリアルが忙しくなった関係で

徐々に活動が少なくなり事実上の解散(休止)

もっと上手くなりたいと思ってガチクランに入団

入団テストの際にSR向いてない、反応速度遅すぎということで

PMへの転向を求められ受諾

(正面での打ち合いがとにかく弱く、ARもできないから消去法でのPM)

音の聞き方、布陣の想像の仕方、引き攻めの基準などを叩きこまれる

教わったことをゲーム中にできずに罵倒されながら悔しい思いをした日々・・・

ちょうどこのころから大会にも出始めるようになり、自分の集中力の高め方など

意識してできるように。

ゲームの2分30秒の間でどこでMAXの集中力を出すべきなのかを考えながらの

ゲームメイクを心掛けていた時期

ガチクランの限界とワイワイクラン

なんとか食らいついてやってた訳ですが、

AVAが楽しく感じられなくなり、ただただ怒られないように

自分の役割を淡々とこなすようになっていった

それと同時にリアルの仕事も忙しくなり、毎日21時~1時までの活動に

参加することが厳しくなっていき、クラン脱退 野良での活動を始める

仕事の忙しさも相まってAVAから離れていたところ

昔クランを転々としてた時に入っていたワイワイクランの人から

もう一度クラン立ち上げるから来ないかとのお誘い

即入団し、活動再開

結論:やっぱりAVA面白い!

今の状況

クランで活動もしてますが、

戦略はほぼ無し、各々やりたいことをやりたいようにやり

フォローできる人はフォローする

〇〇さんが前出たから、自分は引いておこうかな?とか空気の読みあいで

ゲームをしている感じ。それがもし意図しないものだったとしても

そういうときもあるよね☆という空気感なので非常に楽しい

戦略って言ったってこれが100%正しいってものはなんだから気軽にやればいいって

思い始めました。

なので対クランやガチガチの戦略家の人からすれば間違ってると言われるかもしれませんが

自分なりのPMとしてのゲーム中の考え方などを発信していこうと思っています。

今後ともよろしくお願いします。

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